いま私たちが卓を囲む麻雀は、ある日突然できあがったものではありません。国境を越え、時代をくぐり、少しずつ形を変えながら、ここまで来ました。百数十年におよぶその旅を、ざっとたどってみます。
中国で生まれる
麻雀の原型が生まれたのは、中国・清の時代——19世紀の半ばから後半にかけてとされています。それ以前から親しまれていた「馬吊(マーディアオ)」などの紙の札(紙牌)を使った遊びや、骨でできた札を使う遊技が下敷きになり、長い時間をかけて、いまの牌と役の形に近づいていったと考えられています。
発祥の地には諸説ありますが、貿易港として栄えた寧波(ニンポー)が有力に挙げられ、清末の人物・陳魚門(ちんぎょもん)が現在に近い形へ整えたとも伝えられます。ただし確かな記録は乏しく、起源に定説はありません。
牌の構成も、この成立期に整っていきました。萬子・筒子・索子という三種類の数牌に、東南西北の風牌と白發中の三元牌が加わり、全34種・各4枚の計136枚。卓を囲み、牌を引いては捨て、十三枚から手を作る——その骨格は、生まれた当初から驚くほど現在と地続きです。
世界へ広がる
20世紀に入ると、麻雀は中国の外へと旅立ちます。アメリカ人のジョセフ・バブコックは1920年に麻雀を本国へ紹介し、「Mah-Jongg」として商標を登録、簡易ルールの手引きを広めました。これをきっかけに、1920年代の前半にはアメリカで社会現象と呼べるほどの大ブームが起こります。竹と骨で作られた美しい牌のセットは、東洋への憧れとともに各家庭へ広がっていきました。
同じ頃、麻雀は海を渡って日本にも根を下ろし始めていました。
日本へ伝わる
日本へ麻雀が伝わったのは、明治の末から大正にかけての頃とされています。中国大陸に渡った日本人を通じて持ち込まれたと言われ、教育者の名川彦作(なかがわ ひこさく)が、明治の末(1909〜1910年頃)に中国から牌を持ち帰った一人として知られています。
大正13年(1924年)になると新聞や雑誌で紹介され、手引書も出版されて流行の兆しが見えはじめます。昭和の初めにはブームが本格化し、東京の街には貸卓の「雀荘」が次々と開業——昭和4年(1929年)には東京だけで千数百軒に達したとも言われます。文学者や文化人にも愛好者が増え、麻雀は人々の暮らしのすぐ近くに居場所を見つけました。
日本で独自に育つ ── 立直の誕生
戦中・戦後を経て、日本の麻雀は中国の原型から離れ、独自の進化をとげます。その最大の象徴が「立直(リーチ)」です。あと一枚で和了(あがり)という状態(テンパイ)を宣言して戦うこのルールは日本で生まれました。その起源には満洲由来説など諸説ありますが、1952年に天野大三が立直やドラを「報知ルール」として成文化したことで、いまに続くリーチ麻雀の原型が定まったとされています。
さらに、ボーナス役を生む「ドラ」、その場を一気に荒らす「赤ドラ」(昭和39年・1964年頃に登場したとされる)といった要素も加わり、点数の振れ幅が大きくなりました。複雑な点数計算とあわせて、これらは「リーチ麻雀(日本麻雀)」を、世界の他の麻雀とは一線を画す独自のゲームへと育てていきます。運の要素を残しながらも、押し引きの判断が勝敗を分ける——日本の麻雀は、この緊張感を磨き上げてきました。
物語になった麻雀
麻雀は、卓の上だけでなく、物語の中でも生き続けてきました。なかでも大きな影響を与えたのが、阿佐田哲也(本名・色川武大)の小説『麻雀放浪記』です。1969年から『週刊大衆』で連載が始まったこの作品は、戦後の混乱期を舞台に博打打ちたちの生きざまを描き、麻雀を単なる遊びを超えた人間ドラマの舞台へと押し上げました。
その後も麻雀は、漫画・映画・テレビと、さまざまなメディアで描かれ続けます。誰でもふらりと入って一局打てる「フリー雀荘」の文化も広がり、麻雀は世代を超えて受け継がれていきました。
競技麻雀の時代
「運の遊び」と見られがちだった麻雀に、「実力を競う競技」という新しい顔が加わっていきます。1976年に始まったタイトル戦「最高位戦」を一つの起点に、1980年代以降は競技志向の団体が次々と生まれました。日本プロ麻雀連盟(1981年)、麻将連合-μ(1997年)、日本プロ麻雀協会(2001年)、RMU(2007年)——それぞれが独自のルールと、タイトル戦やリーグ戦を整えていきます。
一局単位では運に見えても、十数節という長いリーグを戦えば、実力は確かに順位へと表れる。プロたちの対局は、麻雀が技術と精神力のスポーツでもあることを、静かに証明してきました。
デジタルと、観るスポーツへ
2000年代に入ると、麻雀はインターネットの中にも広がります。オンライン対戦の「天鳳」(2006年)や、のちの「雀魂(じゃんたま)」(2019年)の登場で、いつでも・誰とでも打てるようになり、競技人口の裾野は大きく広がりました。2014年にはフランスで第1回のリーチ麻雀世界選手権が開かれるなど、日本式の麻雀は海外にもファンを増やしています。
そして2018年、チーム対抗のプロリーグ「Mリーグ」が7チームで開幕します。企業がチームを持ち、トップ選手たちがチームの名を背負って戦う。配信を通じて多くのファンが対局を見守るようになり、麻雀は「打つもの」から「観るもの」へと、もうひとつの広がりを手にしました。
そして、横断の時代へ
中国で生まれ、世界をめぐり、日本で立直とともに独自に育ち、競技として、そして観るスポーツとして——麻雀はいま、たくさんの団体・リーグに分かれ、それぞれの物語を同時に走らせています。
JONGBOY は、その分かれた流れを横に並べて追いかけます。どの団体にも肩入れせず、ただ麻雀が好きだから。長い歴史の続きは、いつだって今日の盤面の上に書かれています。